劇団員から見たゲキダンゴ 【石山英憲】

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Theatre劇団子という団体と向き合い続けて30年。
人生の半分以上をこの劇団で共に過ごしてきました。
その間、沢山の人たちがこの劇団に関わり
そして様々な理由でこの劇団から離れて行きました。
沢山の拍手を頂き、時に痛烈な批判も浴びました。
自分自身の活動の中心に劇団があるということ。
いいこともあれば辛いことも多々あります。

旗揚げしてから10年目までは作品を創るのが楽しくて仕方ありませんでした。
ですが15年を過ぎた頃、作品を創るのが苦痛になりました。
その頃にはもうとっくに書きたいことは書き尽くしていたんだと思います。
何を書いても過去の作品の焼き直しのような気がして
文字を見るのも怖くなりました。
僕は劇団員に頭を下げて一度劇団の活動を休止しました。
劇団子という枷を外し、楽になりたかったんだと思います。
自分勝手だったと思います。
そして長年連れ添った劇団員の半数が劇団子を離れて行きました。
それは当然の報いであり必然だったと思います。

暫く劇団から離れ、外部の色々な作品に関わらせて頂きました。
創作が少し楽しくなりました。
団体を背負う煩わしさから解放され
作品を創ることだけに向き合うことが出来たからなのかもしれません。
ですが心の中は日々空虚でした。
劇団に残ってくれた劇団員たちの存在が日増しに大きくなっていきました。
劇団子の作品が好きだからと残ってくれた仲間たち。
いつ復活するかもわからない不安の中、歴史を繋いでくれました。

きっと長い劇団生活の中で麻痺していたんだと思います。
自分勝手すぎた。自分だけが辛くて苦しいと思い込んでいた。
自分しか見てない、ただ自分を満足させたい、周りに認められたい。
それがその時の僕が積み上げてきたものの全てでした。

旗揚げの頃、僕は大好きだった人を振り向かせたくて芝居を創った。
純粋に笑って欲しかったし、楽しんで欲しかった。
それがモチベーションだった。
ずっと変わらないはずなのにどうして気づけなかったのか。

紆余曲折はあったけれど、今もこうして劇団を続けている。
ともすれば芝居よりも何よりも劇団が好きなのかもしれません。
ただ劇団子が好きだと言ってくれる人たちのために作品を創る。
それでいいんじゃないかって。

で、結局何が言いたかったかといいますと
30周年記念公演「是非にオヨばず」を宜しくお願いします。

石山英憲

PROFILE

石山英憲
Ishiyama Hidenori

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